風がかたり光がしめすもの

感光と随感と思索による記録

春を知ったこと

前回前々回の記事で述べたように、私は亀戸天神を参拝して、その後に隅田川の桜を撮影した。それから私は、菅原道真のことが気になってwikiを調べた。wikiでは道真の思想についても軽く触れられていて、そこには、

「全ては運命の巡りあわせなのだから、不遇を嘆いて隠者のように閉じこもり、春の到来にも気づかぬような生き方はすべきではない」
香は禅心よりして火を用ゐることなし 花は合掌に開けて春に因らず(香りは、わざわざ火を用いて焚くものではなく、清らかな心の中に薫るもの。同じように、花は春が来るからつぼみが開くのではなく、正しい心で合掌するその手の中に花は咲くもの。)

菅原道真 - Wikipedia

とあり、これが道真の思想の一部をしめすものでしかないとしても、こうした言葉を知ったことで、自分のなかで何かが氷解するのを感じた。

 

「不遇」とか、また道真が受けた受難にくらべれば深刻な問題ではないことはわかっている。他人の目からすれば「たかが失恋しただけで」といいたくなるだろう。しかしその「たかが失恋しただけで」あっても、彼女は自分にとってかけがえのない存在だったし、この数年、仕事以外では引きこもりがちな生活をするほどの苦痛を受けた。春の到来には気づけない、とのほどではないにしても、心から春を喜べない自分がいて、その意味では春の到来に気づかないのと変わらなかった。

 

 その女性と別れたのは、数年前の三月のことだった。今でも鮮明に覚えているのは、その女性と別れる数週間前のめずしく雪がふった翌日に、彼女と近所の公園を訪れたときのことである。彼女はゆびを真っ赤にしながら、ふたつの名前を雪のうえに書き綴り、さらには「二人の関係が永遠に続くように」との言葉をつけくわえた。そのときは、今の状態の延長がその「永遠」であるから、その「永遠」を想定するほうがたやすく、逆にその「永遠」を反故にすることのほうがいくらか想像力を用いるゆえに、非現実的に感じられたし、あえてその非現実的な状況を想像する必要もなかった。しかしそれからわずか一ヶ月後には、まったく異なる関係となり、書き綴られた「永遠」とはまったく異なる、想像していなかったほうの「永遠」を受け入れねばいけなかった。ここで別れた理由や経緯を書くことは蛇足なので割愛する。
 
 ともかく一人で春をむかえることになったその年の春は、人生でもっとも暗い春だった。例の公園の前を通りかかったとき、すでに四月であり桜が咲いていた。だいぶまえから知っていたけど、雪は溶け、文字は消えていたのだと実感した。
 そして彼女と来たときにはなかった桜が咲いていた。色鮮やかに美しく。しかし、美しければ美しいほど、哀しみが深くなるのを感じた。
 
 それから数年経っても、桜を見るたびに彼女が綴った文字が鮮明に甦った。バイロンのように、文字を綴った女性を気まぐれだと責めることは、私には許されない気がした。自分の非力さが、あの文字を消失させたと思うために。
 
 そして、今年もそれが来ただけだと思っていた。けれども、私は何か違うものも感じる。ある意味ではカメラに導かれて、春の風景を撮りに出かけたのだが、あらためて春に美しい世界が広がっていることに気がついた。さらに亀戸天神で、菅原道真に興味を持ち、その思想の一部を知ったことでひとつの境地に導かれた。

 

 本物の春が訪れたのだ。そしてこれまでに何度か見た春と思っていたものは、凍りついた私の感情のうちに萌すものがなかったという意味で、春とはいえなかった。数年におよぶ冬も、もう呪うべき対象ではない。春の力強い生命力は、多くの生命を滅ぼす冬を打破したのである。そしてここでは、次のような聯想もゆるされる。雪の上に書いた彼女の文字は消えてしまったが、それとともに溶けた雪は地上のあまたの生命に潤いを与え、春の彩りとして宿った、と。
 こうして私は春を知った。生命力が蘇るのを感じる。数年に及ぶ苦悶は、長かったが、これほどの苦しみのあとにも春が来ることを知ったならば、その年数は春を知るために必要な期間だったともいえる。