風がかたり光がしめすもの

感光と随感と思索による記録

亀戸天神とスカイツリーの写真

亀戸天神

 亀戸天神を訪れたとき、私は既視感を覚えた。一週間ほどまえにみた夢のなかで、似た光景を見ていた気がしたのである。しかし「五歳管公像」をみたとき、夢でみたために既視感を覚えたのではなく、かつて参詣した太宰府天満宮防府天満宮と似ている雰囲気があったからかもしれないとも思った*1
 太鼓橋、梅の木、牛の像、それと全体的に朱い色合いであることなどは、菅原道真を祀る神社の特徴なのだろうか。そして太宰府天満宮にも松尾芭蕉の句碑があったが、ここにも松尾芭蕉の句碑があった。
 芭蕉の句碑をみて、おもしろみを感じたのは、この境内からスカイツリーが望めることである。拝殿とスカイツリーが一緒に撮れ、あたかも芭蕉が説いた不易流行を具現化した世界のように感じられる。
 

スカイツリータウンへ

 亀戸天神をでて、スカイツリーを目指した。その途中、私はふたたび既視感におそわれた。そのときスカイツリーはすぐそばの建物によって遮られていて、それでどこにでもありそうな光景が眼前にひろがっていたので、亀戸天神で考えたように似た光景をどこかで見たために、既視感を覚えたのだと思った。すると既視感はまたも私をおそい、というよりも夢で見たときの光景とともにその夢で考えたこと、つまり夢で見たのではなくどこかで似た光景を見たからだろう、と考えることすら夢のなかで思ったことが、かなりはっきりと意識された。そして私は、軽い頭痛を覚え、右のこめかみ付近の拍動のたびに、その血管がキリキリと締め付けてくるのを感じて、まるで頭が割れるのをふせぐかのように手でおさえて軽く目を閉じたとき、直前に視覚が捉えていた光景がレントゲン写真のような黒い背景と青白いフォルムの線となった残像を生んだが、すぐにそれは手放してしまった風船のように離れて小さくなっていった。
 
 どこかで休憩しようとGooglemapを見たとき、そこが「業平」との地名であることに驚いた。菅原道真在原業平に親交があったという話をいつだか読んだ記憶があったためである。この二人について、あとで詳しく調べなければと考え、近くにあるセブンイレブンでコーヒーを買うことにした。コーヒーを飲めば体が冷えて肩こりがひどくなるのは承知しているが、頭痛を緩和させるのにはそれなりの効果があり、正夢をみないような完全に覚醒した状態となりたいという思いもあった。

 コーヒーを飲んで活力を取り戻した私は、間近に迫ったスカイツリーの撮影を続けた。

*1:この時の私は、天神信仰天満宮の関係について知らなかったし、亀戸天満宮と呼ばれていたことも知らなかった